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浩然の気を養う

  儒教は「孔孟の教え」とも呼ばれるように、孔子に次いで孟子が重要な地位を占めています。「浩然の気を養う」は、その孟子の言葉として有名です。
  「我れ善くわが浩然(こうぜん)の気を養う。あえて問う。何をか浩然の気と謂(い)う。曰く。言い難き。其(そ)の気たるや。至大至剛(しだいしごう)。直をもって養いて害するなければ、則ち天地の間に塞(ふさ)がる。(『孟子』公孫丑(こうそんちゆう)上篇)」

 『孟子』は、中国の儒学者孟子(紀元前372?~紀元前289)の言葉をまとめた書物です。弟子の公孫丑に、「修行のために何をしたらよいのでしょうか?」と問われた孟子は、「私は浩然の気を養う」と答えました。そこで弟子の公孫丑は、「では浩然の気とは何ですか?」と問いました。それに対して孟子は、「それは言葉では言い難い。限りなく広大で限りなく強靭なものである。正直な心を養って執着することが無ければ、天地いっぱいに広がるものだ。」と答えました。

 寒中の中から梅の香がただよってくるときなど、「浩然の気」を感じることができます。この浩然の気を養うには、正直な心と、ものごとに執着しないおおらかな心が大事だよと、孟子は、弟子の公孫丑に答えています。
 それに加えて、調和道丹田呼吸法を一心に実修することも、浩然の気を養う大切な方法です。
 孟子も呼吸法を実践していたようですので、この考えには大賛成されると思います。

童心にして不動心

 地球環境の汚染について早くから警鐘を鳴らしてきた、レイチェル・カーソンというアメリカの海洋生物学者に、『センス・オブ・ワンダー』という著書も話題を呼びました。驚く感性という意味でしょうか。
 確かに、活き活きとした人生を送るためには、大自然の中に生かされていることの不思議さ、神秘性に驚くセンスが必要だと思います。
 国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯(ばれいしよ)』という小説に「不思議なる宇宙を驚きたい」というセリフが出てきます。とにかく驚きたいというのが、この人物の最大の願いなのだというのです。
 八木重吉という詩人に、

 おさない日は
  水が もの云ふ日
 木が そだてば
  そだつひびきが
      きこゆる日


という詩があります。
 水を見ても、木を見ても、幼い日は不思議に感じたものでした。そういう感性は次第に薄れしまうのです。そして一方で、不退転の強靭な精神力を持ち、現実の問題に立ち向かう強い力も必要です。この繊細な感性と強い心を併せ持つことを、「童心にして不動心」という言葉にしました。
 童心と不動心、この両極を統合するのは、丹田呼吸によって上虚下実の体勢を作ることです。子供のような無邪気さ、しなやかさを上虚によって、そして大人のしたたかさを下実によって実現するのです。

EASY COME, EASY GO

 かつて、合気道仲間のアメリカ人青年から、“easy come, easy go”ということわざを聞きました。直訳すれば「容易に来るものは、容易に行ってしまう」といったところでしょうか。宮本武蔵の、「千日の鍛、万日の錬」を思い出させる言葉です。

 宮本武蔵は、剣術家としてだけではなく、絵画、彫金などの芸術家としても高い評価を得ています。文章もなかなかのもので、武蔵野書いた『五輪書』は、有益な金言に富んだ名著です。
 「千日の鍛、万日の錬」は、その『五輪書』にある言葉で、鍛には千日、つまり約三年を要し、錬には万日、約三十年を要するということです。同書には「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉もあります。「鍛」とは肉体面の向上を図ることであり、「錬」とは精神面の向上を図ることではないかと思います。

 禅でも気功でも、調身・調息・調心を実修の基本として挙げています。調息が調身と調心の中間にあることは意味があります。息を調えることが、身体と心をつなげる役割を果たしているということです。
  「身心一如」という言葉があるとおり、身体と心は別のものではありません。私たちが持てる能力を十分にはたらかせるには、身体と心を統一しなければなりません。そのために、息によって身と心を統一させるのです。息(呼吸)にはそういう力があるのです。
 対立からは生み出されるものは、憎しみや闘争です。息の有する融合力は、対立を解消し、争いを避け、融和をもたらすはたらきがあります。
 この呼吸を身に付けるうえで、性急に功を焦ると“easy come, easy go”になってしまいます。ここは是非、「千日の鍛、万日の錬」の精神で、じっくりと取り組む必要があります。

風と息

   「風」  クリスティーナ・G・ロセッティ 西城八十訳
 誰が風を 見たでしょう?   ぼくもあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて   風は通り抜けてゆく


 風は目に見えないけれども、木の葉のそよぐのを見て風の存在が確かめられます。
 古代ユダヤ人が使っていたヘブライ語の「ルアッハ」という言葉には、「霊・息・風」という三つの意味が含まれているそうです。霊も息も風も目には見えないけれども、確かに在るという点で同類だというのでしょう。
 ヘブライ語で書かれた旧約聖書の『創世記』に、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」とあります。このいのちの息こそ、「ルアッハ」ということです。
 風は神の呼吸であり、言葉を変えればいのちの息です。我々はそのいのちの息を吹き込まれて吸気とし、それを感謝でお返しすることを呼気としているわけです。
 それをハッキリと体感するには、日常の無意識の呼吸を、意識的な呼吸にかえてみることです。すると、神あるいは宇宙の根源と自分とが、呼吸を通してつながっていることが実感できます。吸う息は神の恵みであり、息を吐くことは神への感謝のメッセージであるように感じられてきます。

風景・風情・風光・風月・風俗・風習・風采・風格・風貌・風土・風雅・風流・風味・風合・風紀・・・
 これらの言葉からは、神の息づかい、宇宙の息吹が感じ取れるのではないでしょうか。風は宇宙の息であるという微妙な感触を、風という文字で表しているのです。
 私たちの不安や恐怖の根源は、宇宙、大地、あるいはいのちの根源とのつながり感覚の喪失にあります。そのつながりを回復したとき、心からの安心と愛に充たされます。それを左右するのは、風をいのちの根源の息として見抜く感性であり、その感性は丹田呼吸法の実践によって養われるのです。

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姿勢と呼吸

 肺は呼吸の主役でありながら、自ら広げたり縮めたりすることが出来ません。肺を収納している胸郭の拡縮によって間接的に動かされているのです。
 胸郭を拡げたり縮めたりするのは、主に肩や胸や背中の姿勢を支える筋肉なのです。つまり、正しい姿勢と正しい呼吸は深い関係があるのです。無理な姿勢をしていると、体幹の筋肉は姿勢を保つことに手いっぱいで、呼吸の方がおろそかになってしまいます。
 次は、姿勢と呼吸に関する佐藤通次博士の言葉です。

 正しい姿勢は正しい呼吸の基盤としてのみ意味があるし、正しい呼吸は正しい姿勢をおのずから伴っている。

 佐藤通次氏(明治34〈1901〉~平成2〈1990〉)は、ドイツ文学者で、『岩波独和辞典』の編纂や、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト」などの翻訳も多数あります。また、『神道哲理』『仏教哲理』などの著書も多くあり、皇学館大学の学長も務めています。また、『身体論』『武道哲理』等の多くの著述もあります。
 佐藤博士の言葉は、「正しい呼吸は正しい姿勢をおのずから伴っている」と続きます。上虚下実の姿勢が完全な呼吸には必須であり、完全な呼吸が上虚下実の姿勢を作っていきます。姿勢と呼吸は相即相入の関係にあります。姿勢と呼吸は両々相俟って身心を錬っていくのです。
プロフィール

鈴木光彌

Author:鈴木光彌
1943年(昭和18)東京都葛飾区水元に生まれる
法政大学法学部卒
在学中は応援団に所属し、副団長を務める
今も、人々に生きる勇気と喜びを鼓吹する応援団を任じている
昭和55年、公益社団法人調和道協会に入会し、丹田呼吸法を学ぶ
以来研鑚を重ね、現在養根塾を主宰して活動中
著書:「丹田湧気法入門」柏樹社(共著)、「丹田を創る呼吸法」BABジャパン、「丹田を創って『腹の人』になる」小学館、「藤田霊斎 丹田呼吸法」佼成出版社

【養根塾】
◇会場: 高輪アンナ会館
東京都港区高輪2-1-13
都営浅草線 泉岳寺駅A2口徒歩5分
◇日時:毎週火 1:00~3:00PM
◇会費:1000円/1回
自由ヶ丘教室 第2・4金 10:30AM
若葉教室 毎週金 6:00PMも併設
お問合せ 090-5405-4763 鈴木
Eメール
mitsuya@wf7.so-net.ne.jp

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