新聞だったか雑誌だったか、なにに書かれたものかは忘れてしまいましたが、「おいあくま」と題する文章を読んだことがあります。
「おい! 悪魔‼」と、心を乱す悪魔を叱りつけているのです。
お・・・「怒る」 い・・・「威張る」 あ・・・「焦る」 く・・・「くさる」 ま・・・「負ける」、ということだったと思います。
いずれも、心を乱す元凶ともいうべき心の状態ですね。
調和道丹田呼吸法を創始した藤田霊斎師は、呼吸法の実修の最後に、「反省と感謝」の時間を設けて瞑想するように指導しています。呼吸法によって心を鎮め、高い視点から自分を見つめます。これを霊斎師は「神の反省」と言っています。神の視点に立って反省するということです。
そのとき、この「おいあくま」というチェックリストはいいですね。この反省が自分の心の実態を深く見つめることになります。その結果として、「あくま」の対極にある「感謝」の心なのです。
「上虚下実」の姿勢が、人が動くうえで理にかなっているのは、地球の遠心力と引力のそれぞれに対応しているからだと思います。力みの抜けた上半身(上虚)は遠心力の顕現であり、ドッシリとした下半身(下実)は引力の顕現です。
引力は重さとして実感できますが、遠心力はハッキリと実感できません。けれども、遠心力の顕現である上虚は、下実に劣らず大切な要件です。
引力と比べて微細な遠心力を感じるには、デリケートな感性が必要で、そのために上虚であることが大事です。肩や胸など上半身が力んでいると、微細な事象を感じることはできません。
この感性が、身体に高度のパフォーマンスを現出させます。走る、格闘する、踊る、歌う、楽器を演奏する、絵を描く、書を認める、茶のお点前をするなどなど、そして瞑想をするにも、遠心力を感知する感性は大変需要な要素となるのです。
ドッシリとした腹の人になるには、遠心力を感じる繊細な感性も重要な要素です。
大正時代に一世を風靡した「岡田式静坐法」の創始者岡田虎二郎師は、人を頭の人、胸の人、腹の人に分けました。頭の人とは名正規な頭脳の持ち主、胸の人とは我慢強い努力家です。そして最後の腹の人は度量の広い人で、これを第一等の人としています。
次のタゴールの「収穫祭」という詩の一節は、腹の人をよく説明していると思います。一切を自分の責任に帰して、他に寄りかかラナイ姿勢こそ腹の人だと思います。
私をして危難から守られんことを祈らしめるな、 ただ恐れなくそれらに直面せしめよ。
私をしてわが悩みを鎮めんことを乞わしめるな、 ただかれにうち克つ心を乞わしめよ。
生の戦場における盟友を求めしむるな、 ただおのれ自身の力を求めしめよ。
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わが身に降りかかる事態を、他人のせいにしないで全部引き受ける覚悟を持った人、と言ったらよいでしょうか? 言い換えれば、自律自助の人が、腹の人であると思います。
数日後に喜寿を迎えるにあたって、自戒として記しました。
「強くなければ生きてはいけない 優しくなければ生きていく資格がない」
レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説で、名探偵のフィリップ・マーロウが言うセリフです。
強さと優しさを併せ持った人・・・、こんな幅のある豊かな人間像も、その基盤に上虚下実があると思います。
ドッシリと安定した下実の構え。そこから生まれる強さからは、「腹の据わった」「太っ腹の」「万事を腹に収めた」安定した強さが感じられます。
下実の安定があると、伸び伸びとした上虚が生まれます。下実の揺るがぬ支えがあるから、ユッタリとしたゆったりとした上半身が可能になるのです。
上虚からは、顔に微笑みの絶えない、胸の中には感謝の満ちあふれた優しさがにじみ出てきます。そして下実からは、義を貫く勇気が湧き出てきます。
フィリップ・マーロウ探偵にも、調和道丹田呼吸法を実修してもらって、さらに人間を磨いていっていただきたいものです。
調和道丹田呼吸法の創始者である田霊斎師は、真言宗智山派の僧侶でした。ですから、弘法大師空海(宝亀5〈774〉~承和2〈(835〉)を尊崇してやみませんでした。
以下は、空海の言葉です。
それ気海(きかい)微(すくな)しと雖(いえど)も忽(たちま)ち満界(まんかい)の雲を起こし、眼精(がんせい)至って小な れども、能 (よ)く遍虚(へんこ)の物を照らす。
気海はヘソの下一寸半、丹田より一寸半ほご上部ということですが、丹田と共に下腹部一体を総称していると思われます。下腹部は、全身から見ればわずかな部分ですが、ここに気力を籠めれば、満天に雲をわき起こすほどの力がある、ということです。そして眼精すなわち瞳は、きわめ小さな部分ですが、宇宙のすべてを見通すことができる、というのです。
気海にしても眼精にしても、ごく小さな部分が大きなはたらきをしているということです。その大切な部分を知って、そこを磨いていくことが大事なのだということです。
調和道丹田呼吸法は、気海丹田の小部分を磨き充実させて、龍が天に昇って雲を起こすようなパワーを発揮しようとするものです。