風と息
誰が風を 見たでしょう? ぼくもあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて 風は通り抜けてゆく
クリスティーナ・G・ロセッティ
西城八十訳
風は目に見えないけれども、木の葉のそよぐのを見て風の存在が確かめられます。
風は宇宙の呼吸であり、我々の呼吸は体内を吹く風と言えます。また風は、神の呼吸であり、言葉を変えればいのちの息です。我々はそのいのちの息を吹き込まれて吸気となし、それを感謝でお返しすることを呼気としているわけです。
そのことをハッキリと体感するには、日常の無意識の呼吸を、意識的な呼吸にかえてみることです。つまり丹田呼吸をすることです。すると、神あるいは宇宙の根源と自分とが、呼吸を通して統一していることが実感できます。息を吸うことは神の恵みであり、吐くことは、自分を生かし給う神への感謝のメッセージであるように感じられてきます。
ものごとの微妙さを表現するとき、「風」という字が使われます。
風景・風情・風光・風月・風格・風貌・風潮・風雅・風流・風味・風物・風合・風評などなど・・・
これらの風からは、神の息づかい、宇宙の息吹が感じ取れるように思います。
いのちの根源とのつながりを感じる感性を失うことから、不安や恐怖が起こります。そしてそのつながりを取り戻したときに、愛に満たされた心からの安心を感じます。
そうした感性は、神の息づかい、宇宙の息吹とフラクタル構造にある丹田呼吸法によって養われるのです。
けれど木の葉をふるわせて 風は通り抜けてゆく
クリスティーナ・G・ロセッティ
西城八十訳
風は目に見えないけれども、木の葉のそよぐのを見て風の存在が確かめられます。
風は宇宙の呼吸であり、我々の呼吸は体内を吹く風と言えます。また風は、神の呼吸であり、言葉を変えればいのちの息です。我々はそのいのちの息を吹き込まれて吸気となし、それを感謝でお返しすることを呼気としているわけです。
そのことをハッキリと体感するには、日常の無意識の呼吸を、意識的な呼吸にかえてみることです。つまり丹田呼吸をすることです。すると、神あるいは宇宙の根源と自分とが、呼吸を通して統一していることが実感できます。息を吸うことは神の恵みであり、吐くことは、自分を生かし給う神への感謝のメッセージであるように感じられてきます。
ものごとの微妙さを表現するとき、「風」という字が使われます。
風景・風情・風光・風月・風格・風貌・風潮・風雅・風流・風味・風物・風合・風評などなど・・・
これらの風からは、神の息づかい、宇宙の息吹が感じ取れるように思います。
いのちの根源とのつながりを感じる感性を失うことから、不安や恐怖が起こります。そしてそのつながりを取り戻したときに、愛に満たされた心からの安心を感じます。
そうした感性は、神の息づかい、宇宙の息吹とフラクタル構造にある丹田呼吸法によって養われるのです。
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