魂の呼吸
養根塾で、仲間と共に丹田呼吸を実修していると、次第に心が純化されてきます。特に吐く息は、祈りそのものになったように感じてきます。
『祈り』という名著のある奥村一郎(1923~2014)という神父さんの次の言葉は、この呼吸の不思議なはたらきについて語っています。
祈りとは「魂の呼吸」である。さらにいえば、「心の奥深くに秘められた神の呼吸」ともいえよう。
小さな一輪の野の花にも、宇宙大の自然が息づいているように、私たちの一瞬の呼吸にも、神の愛の息吹がある。
奥村師は、「心の奥深くに秘められた神の呼吸」と言っています。これも、丹田呼吸法の実修から得られる実感をよく表しています。
息を吸うことは、宇宙から、あるいは神からいのちの源を頂くことである。そして息を吐くことは、いのちの源を頂いたことへの、感謝のメッセージを送ることであるという実感です。
日常生活に追われていると、自分という存在がどんどん矮小化されていきます。真実の私たちは、宇宙の大生命の中に生かされています。そのことを実感させてくれるのは、奧村師のおっしゃる祈り化された「魂の呼吸」です。
『祈り』という名著のある奥村一郎(1923~2014)という神父さんの次の言葉は、この呼吸の不思議なはたらきについて語っています。
祈りとは「魂の呼吸」である。さらにいえば、「心の奥深くに秘められた神の呼吸」ともいえよう。
小さな一輪の野の花にも、宇宙大の自然が息づいているように、私たちの一瞬の呼吸にも、神の愛の息吹がある。
奥村師は、「心の奥深くに秘められた神の呼吸」と言っています。これも、丹田呼吸法の実修から得られる実感をよく表しています。
息を吸うことは、宇宙から、あるいは神からいのちの源を頂くことである。そして息を吐くことは、いのちの源を頂いたことへの、感謝のメッセージを送ることであるという実感です。
日常生活に追われていると、自分という存在がどんどん矮小化されていきます。真実の私たちは、宇宙の大生命の中に生かされています。そのことを実感させてくれるのは、奧村師のおっしゃる祈り化された「魂の呼吸」です。
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