いのち、この玄妙なるもの
科学は人類に偉大なる恩恵をもたらしました。特に情報通信機器や交通機関発達は驚異的です。
しかし科学も万能ではありません。特に医学は不完全な点を多く残しています。「手術は成功した。でも患者は死んだ」というブラックジョークは、現代医学に対する皮肉です。
生命という複雑で微妙な存在になると、科学的分析知だけでは真実をとらえきれません。機械でしたら、解体した部品を組み立てなおせば、元の機能が復元しますが、生命はバラバラにしてしまったら、正確に組み立てなおしても元に戻りません。全体は部分の総和であるという理屈は、生命には通用しないのです。
まして人間には、生命に加えて心が加わりますから、いよいよ話は微妙です。
1912年にノーベル生理・医学賞を受賞したアレクシス・カレルが、『人間、この未知なるもの』を著てから87年になりますが、人間は相変わらず未知のままです。
「大切なことはね、目に見えないんだよ」と、星の王子さまにキツネが語りました。「昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」と、金子みすずは子供達に歌いかけました。
また宮本武蔵は、「見の目」よりも「観の目」が大切であると言いました。「観の目」とは、本質を見透す目です。肉眼ではとらえきれない、微妙な生命や心を感じ取る感性です。
生命や心を感じ取る感性を磨くためには、呼吸の在り方が大切になります。その呼吸は日常の無意識呼吸ではなく、意識的に心を込めた呼吸です。つまり丹田呼吸法です。
丹田呼吸法によって、感性が、粗から細、細から微、微から妙、さらに玄へと磨かれていくのです。生命を観る世界が開かれてくるのです。
古来東洋において丹田呼吸法が重視されてきたのは、生命を分析知ではとらえられない玄妙な存在と考える、深い人間観があったからです。
しかし科学も万能ではありません。特に医学は不完全な点を多く残しています。「手術は成功した。でも患者は死んだ」というブラックジョークは、現代医学に対する皮肉です。
生命という複雑で微妙な存在になると、科学的分析知だけでは真実をとらえきれません。機械でしたら、解体した部品を組み立てなおせば、元の機能が復元しますが、生命はバラバラにしてしまったら、正確に組み立てなおしても元に戻りません。全体は部分の総和であるという理屈は、生命には通用しないのです。
まして人間には、生命に加えて心が加わりますから、いよいよ話は微妙です。
1912年にノーベル生理・医学賞を受賞したアレクシス・カレルが、『人間、この未知なるもの』を著てから87年になりますが、人間は相変わらず未知のままです。
「大切なことはね、目に見えないんだよ」と、星の王子さまにキツネが語りました。「昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」と、金子みすずは子供達に歌いかけました。
また宮本武蔵は、「見の目」よりも「観の目」が大切であると言いました。「観の目」とは、本質を見透す目です。肉眼ではとらえきれない、微妙な生命や心を感じ取る感性です。
生命や心を感じ取る感性を磨くためには、呼吸の在り方が大切になります。その呼吸は日常の無意識呼吸ではなく、意識的に心を込めた呼吸です。つまり丹田呼吸法です。
丹田呼吸法によって、感性が、粗から細、細から微、微から妙、さらに玄へと磨かれていくのです。生命を観る世界が開かれてくるのです。
古来東洋において丹田呼吸法が重視されてきたのは、生命を分析知ではとらえられない玄妙な存在と考える、深い人間観があったからです。
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