東洋の呼吸観
藤田霊斎師は出典は不明として、次のような中国の古典の言葉を紹介しています。
息は 新しきを吸い 古きを吐き
以って臓を錬り 意をもっぱらにし
精を積み 神に通ず
「新しきを吸い、古きを吐き」というのは、酸素を吸って炭酸ガスを吐くことです。呼吸のはたらきとして、誰でも知っています。
東洋においては古来、呼吸をこの吸酸除炭作用に限らないで、もっと多くのはたらきがあると考えていました。
「以って臓を錬り」とは、内臓を錬るということです。横隔膜が十分に活動する丹田呼吸は、腹圧の変動によって、腹部をマッサージする効果があります。空洞である腹腔に収まっている内臓には、とかく静脈血がたまりやすいのです。心臓は血液を押し出す力はあっても、引き戻す力はほとんどありませんから、どうしてもそうなりがちです。
この腹部の内臓にたまった静脈血を押し返すのが腹圧です。正しい丹田呼吸は、「臓を錬る」効果があるのです。
「意をもっぱらにし」とは、精神統一のことです。お釈迦様が呼吸法について説いた、「アーナーパーナサティ」という経典の「サティ」が意をもっぱらにするということです。最近では「マインドフルネス」という言葉でこのことを表しています。
幸田露伴は、「気は散らしても凝らしてもいけない。気は張っていなくてはならない」ということを言っています。露伴の「気を張る」も、意をもっぱらにすることに通じます。
「精を積み」というのは、生命エネルギーをチャージするということです。あるいは霊性を高めるということともとれます。身心を粗略な状態から、微細な状態に練り上げ磨き上げ、感性を高めていくということです。
「神に通ず」とは、神様の心に通じてしまう、宇宙に統一する、救われる、真理に目覚める、悟りをひらくということです。東洋においては、呼吸にここまで可能性を見ているのです。
呼吸は、生きるための基本的な行為です。その呼吸を最も高度に仕上げたものが丹田呼吸法です。丹田呼吸法の実践は、無限の可能性を開いていきます。
息は 新しきを吸い 古きを吐き
以って臓を錬り 意をもっぱらにし
精を積み 神に通ず
「新しきを吸い、古きを吐き」というのは、酸素を吸って炭酸ガスを吐くことです。呼吸のはたらきとして、誰でも知っています。
東洋においては古来、呼吸をこの吸酸除炭作用に限らないで、もっと多くのはたらきがあると考えていました。
「以って臓を錬り」とは、内臓を錬るということです。横隔膜が十分に活動する丹田呼吸は、腹圧の変動によって、腹部をマッサージする効果があります。空洞である腹腔に収まっている内臓には、とかく静脈血がたまりやすいのです。心臓は血液を押し出す力はあっても、引き戻す力はほとんどありませんから、どうしてもそうなりがちです。
この腹部の内臓にたまった静脈血を押し返すのが腹圧です。正しい丹田呼吸は、「臓を錬る」効果があるのです。
「意をもっぱらにし」とは、精神統一のことです。お釈迦様が呼吸法について説いた、「アーナーパーナサティ」という経典の「サティ」が意をもっぱらにするということです。最近では「マインドフルネス」という言葉でこのことを表しています。
幸田露伴は、「気は散らしても凝らしてもいけない。気は張っていなくてはならない」ということを言っています。露伴の「気を張る」も、意をもっぱらにすることに通じます。
「精を積み」というのは、生命エネルギーをチャージするということです。あるいは霊性を高めるということともとれます。身心を粗略な状態から、微細な状態に練り上げ磨き上げ、感性を高めていくということです。
「神に通ず」とは、神様の心に通じてしまう、宇宙に統一する、救われる、真理に目覚める、悟りをひらくということです。東洋においては、呼吸にここまで可能性を見ているのです。
呼吸は、生きるための基本的な行為です。その呼吸を最も高度に仕上げたものが丹田呼吸法です。丹田呼吸法の実践は、無限の可能性を開いていきます。
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