統一の場としての腹
「人生の幸運は、対立矛盾する両極を互いに一体化する道の上にしかない。 この対立矛盾を統一するのは、根源的中心を知覚するとき、そこに自分の根を下ろすとき、すなわち『肚』をもったとき成就する。」
昭和12年から22年まで日本に滞在した、カール・デュルクハイム(1896~1988)というドイツの哲学者の言葉です。(『肚―人間の重心〈麗澤大学出版会〉』)
昭和12年から22年間の滞日中、禅や岡田式静坐法に熱心に取り組んだデュルクハイムだけに、日本における腹「肚」の意味を深く理解し、腹を対立矛盾を一元化するものとしてとらえています。
腹に重心をおいて身体を用いることで、身体そのものが鍛えられ、さらに心が練られ、統合力が養われます。腹を忘れた修行では、対立矛盾を統一する力は期待できません。昔から、「腹ができている」「太っ腹だ」との評価は、最高のほまれであった理由はここにあります。
日露戦争の英雄東郷平八郎元帥は、若い頃はカミソリのように切れ味の鋭い頭脳の持ち主であったそうです。しかし頭が鋭いだけでは人間としてかたよってしまうということで、腹の人を目指して坐禅などの修行をしたとのことです。
東郷元帥が、若いころのままの知の人だけであったら、国の興廃を賭けた日本海海戦において、泰然自若として指揮を執った、あの沈着にして重厚な人間力には達しなかったことでしょう。
昭和12年から22年まで日本に滞在した、カール・デュルクハイム(1896~1988)というドイツの哲学者の言葉です。(『肚―人間の重心〈麗澤大学出版会〉』)
昭和12年から22年間の滞日中、禅や岡田式静坐法に熱心に取り組んだデュルクハイムだけに、日本における腹「肚」の意味を深く理解し、腹を対立矛盾を一元化するものとしてとらえています。
腹に重心をおいて身体を用いることで、身体そのものが鍛えられ、さらに心が練られ、統合力が養われます。腹を忘れた修行では、対立矛盾を統一する力は期待できません。昔から、「腹ができている」「太っ腹だ」との評価は、最高のほまれであった理由はここにあります。
日露戦争の英雄東郷平八郎元帥は、若い頃はカミソリのように切れ味の鋭い頭脳の持ち主であったそうです。しかし頭が鋭いだけでは人間としてかたよってしまうということで、腹の人を目指して坐禅などの修行をしたとのことです。
東郷元帥が、若いころのままの知の人だけであったら、国の興廃を賭けた日本海海戦において、泰然自若として指揮を執った、あの沈着にして重厚な人間力には達しなかったことでしょう。
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