中心の坐としての丹田
東京の中野に、高歩院(こうほいん)という臨済宗の禅寺があります。山岡鉄舟の本名である高歩(たかゆき)に因んで名付けた寺名です。
この高歩院の前住職だった大森曹玄(1904〈明治37〉~1994〈平成6〉)老師は、
「丹田は生きた人間が、身を正しく保つときに現成(げんじよう)する中心の坐である」
と言っています。
曹玄(そうげん)老師自身、剣道、書道の名人で禅の大家であるところは、山岡鉄舟翁と通じるところがあります。
剣は、幕末の剣豪榊原健吉師の弟子である山田治朗吉師範から指導を受けて、直心影流を伝えていました。
書は、これも鉄舟翁が第五十二世を継いでいる入木道(じゅぼくどう)が受け継がれています。
そして禅は、これまた鉄舟翁の禅の師である天龍寺の滴水禅師の系統に連なっていて、鉄舟翁とは大変深いゆかりを持っています。『剣と禅』『書と禅」の著書がある通り、まさに、剣・禅・書に通ずる方でした。
その大森曹玄老師が説いた丹田論です。生きた人間が、正しい姿勢を調えた時に、自ずから中心の坐としてる下腹部に成立する状態が丹田であるということです。
丹田を調えることは、剣・禅・書ばかりでなく、身心を錬磨する修行活動の基本なのです。
この高歩院の前住職だった大森曹玄(1904〈明治37〉~1994〈平成6〉)老師は、
「丹田は生きた人間が、身を正しく保つときに現成(げんじよう)する中心の坐である」
と言っています。
曹玄(そうげん)老師自身、剣道、書道の名人で禅の大家であるところは、山岡鉄舟翁と通じるところがあります。
剣は、幕末の剣豪榊原健吉師の弟子である山田治朗吉師範から指導を受けて、直心影流を伝えていました。
書は、これも鉄舟翁が第五十二世を継いでいる入木道(じゅぼくどう)が受け継がれています。
そして禅は、これまた鉄舟翁の禅の師である天龍寺の滴水禅師の系統に連なっていて、鉄舟翁とは大変深いゆかりを持っています。『剣と禅』『書と禅」の著書がある通り、まさに、剣・禅・書に通ずる方でした。
その大森曹玄老師が説いた丹田論です。生きた人間が、正しい姿勢を調えた時に、自ずから中心の坐としてる下腹部に成立する状態が丹田であるということです。
丹田を調えることは、剣・禅・書ばかりでなく、身心を錬磨する修行活動の基本なのです。
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