老いを楽しむ
生くることやうやく楽し老の春 富安風生
富安風生(1885〈明治18〉~1971〈昭和54〉)は、東京帝国大学法学部で逓信省の次官にまでなったエリートであり、ホトトギス派の俳人としても芸術院会員にもなっています。
上掲の句は、78歳の時の作品です。こんな高齢になって、ようやく生きることが楽しくなってきたというのです。美しい老いを追求した俳人の面目躍如たるものがあります。
これより2年前、風生翁76歳の時の俳句。
いやなこといやで通して老いの春
ただの我がままでは、頑固爺さんとして周囲から疎んじられるばかりですが、それをご愛嬌として認めさせてしまうのは、歳月をかけて磨いた人間力のたまものでしょう。それは処世術とは違った高難度の芸と言えます。
そして富安翁の辞世の句は、
九十五歳とは後生極楽春の風
ということにあいなりました。何とゆうゆうたる境涯でしょうか。富安風生は俳句修行をとおして、老いと死を美しく楽しいものとして創りあげた、人生の達人でありました。
富安風生(1885〈明治18〉~1971〈昭和54〉)は、東京帝国大学法学部で逓信省の次官にまでなったエリートであり、ホトトギス派の俳人としても芸術院会員にもなっています。
上掲の句は、78歳の時の作品です。こんな高齢になって、ようやく生きることが楽しくなってきたというのです。美しい老いを追求した俳人の面目躍如たるものがあります。
これより2年前、風生翁76歳の時の俳句。
いやなこといやで通して老いの春
ただの我がままでは、頑固爺さんとして周囲から疎んじられるばかりですが、それをご愛嬌として認めさせてしまうのは、歳月をかけて磨いた人間力のたまものでしょう。それは処世術とは違った高難度の芸と言えます。
そして富安翁の辞世の句は、
九十五歳とは後生極楽春の風
ということにあいなりました。何とゆうゆうたる境涯でしょうか。富安風生は俳句修行をとおして、老いと死を美しく楽しいものとして創りあげた、人生の達人でありました。
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