呼吸の祈り化 Ⅱ
「天の父さま、どんな不幸を吸っても、はくいきは感謝でありますように、一刻々々が恵みの呼吸なのですから」 河野 進
人生は楽なことばかりはなく、悲しいことや苦しいことにも出会います。しかし、悲しみや苦しみや不幸をに打ちひしがれて、被害者意識に陥って、沈んで暮らすのは愚の骨頂です。人間は自由意思が与えられているのです。どんな境遇にあっても、心はまったく自由なのです。
一回祈るごとに、心の中のヘドロは中和され浄化されます。祈りの力はすごいものです。 「渋柿の渋そのものの甘さかな」と申します。舌に貼りつくような強烈な渋自体が、太陽の光によって甘さに変わってしまうように、祈りは心のヘドロを栄養に変えてしまうのです。
そんな祈りをいつでもしていたいものです。生活の中で祈るのではなく、祈りの中で生活するのです。そんな、仕事やいろいろしなければならないのに、祈りばかりしていられないよ、と言われるかもしれません。そこで、吐く息を祈りにしてしまうのです。どんなに忙しくても、呼吸はしているわけですから、呼気そのものを祈りにしてしまえば、仕事中はもちろん、寝ている間も祈ってていることになります。まさに祈りの中の生活であり、祈りの人そのものです。 呼吸もここまでくれば名人級です。
呼吸の祈り化とは、人生の一こま一こまを大事に生きることです。以前飛ばし読みしていた本を、改めてじっくりと読んでみる。すると、前にはまったく気づかなかったことに、新しい感銘を受けることがあります。前は何を読んでいたのだろうと思います。
祈りの心をもって丁寧に生きていくと、一日一日が、新鮮で感動をもって過ごすことが出来ます。
人生は楽なことばかりはなく、悲しいことや苦しいことにも出会います。しかし、悲しみや苦しみや不幸をに打ちひしがれて、被害者意識に陥って、沈んで暮らすのは愚の骨頂です。人間は自由意思が与えられているのです。どんな境遇にあっても、心はまったく自由なのです。
一回祈るごとに、心の中のヘドロは中和され浄化されます。祈りの力はすごいものです。 「渋柿の渋そのものの甘さかな」と申します。舌に貼りつくような強烈な渋自体が、太陽の光によって甘さに変わってしまうように、祈りは心のヘドロを栄養に変えてしまうのです。
そんな祈りをいつでもしていたいものです。生活の中で祈るのではなく、祈りの中で生活するのです。そんな、仕事やいろいろしなければならないのに、祈りばかりしていられないよ、と言われるかもしれません。そこで、吐く息を祈りにしてしまうのです。どんなに忙しくても、呼吸はしているわけですから、呼気そのものを祈りにしてしまえば、仕事中はもちろん、寝ている間も祈ってていることになります。まさに祈りの中の生活であり、祈りの人そのものです。 呼吸もここまでくれば名人級です。
呼吸の祈り化とは、人生の一こま一こまを大事に生きることです。以前飛ばし読みしていた本を、改めてじっくりと読んでみる。すると、前にはまったく気づかなかったことに、新しい感銘を受けることがあります。前は何を読んでいたのだろうと思います。
祈りの心をもって丁寧に生きていくと、一日一日が、新鮮で感動をもって過ごすことが出来ます。
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