息はいのち
クリスチャンで野の詩人と言われた宮崎童安(1888〈明治21〉~1963〈昭和38〉)は、次の言葉を残しています。
この息は神仏そのもののいのちである。
この息によって身は神仏とひとつに結びついている。
息を数分止めれば、私たちは死んでしまいます。息はいのちそのものです。息は自分で考えだしたことではないし、習い覚えたものでもありません。生まれた時から今日まで自然にしてきました。まさに神仏から頂いた,神仏そのもののいのちを生きていることになります。
吸う息は神からいのちを授かることであり、吐く息は神への祈りです。まさに息は、神仏と私たちの愛と感謝の交流であると言えます。
もう一つ童安の詩を掲げます。
必然に従う
生命の必然に随って動く
その良さを知った
花がひらくように
雲が動くように
水が流れるように
私は私の生命の
必然に従おう
この息は神仏そのもののいのちである。
この息によって身は神仏とひとつに結びついている。
息を数分止めれば、私たちは死んでしまいます。息はいのちそのものです。息は自分で考えだしたことではないし、習い覚えたものでもありません。生まれた時から今日まで自然にしてきました。まさに神仏から頂いた,神仏そのもののいのちを生きていることになります。
吸う息は神からいのちを授かることであり、吐く息は神への祈りです。まさに息は、神仏と私たちの愛と感謝の交流であると言えます。
もう一つ童安の詩を掲げます。
必然に従う
生命の必然に随って動く
その良さを知った
花がひらくように
雲が動くように
水が流れるように
私は私の生命の
必然に従おう
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