一を貫く道
俳聖松尾芭蕉は、『笈の小文』で、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」と言っています。
和歌・連歌・絵画・茶の湯など、分野は違うけれども、その貫く道は一つであるということです。もちろん芭蕉自身も、俳句に於いて同じ一つの道を貫いているという自負があったことでしょう。
すべてを貫く一つの道とは何でしょうか? 剣術はもとより、絵画、彫金、書など「諸芸諸能の道」に通じていた宮本武蔵にとって、一つの道を貫くものは、剣の理ということになります。武蔵は師につくことなく、自ら究めた剣の理によって、絵を描き、彫刻をし、書を書き、いずれの道でも一流の作を残しました。
今の時代に、剣の道を究めようというのは万人向きとはいえません。剣よりも、誰もが近づける一を貫く道は、呼吸を調えることです。誰もが日常行っている呼吸を調えて、呼吸を丹田呼吸にまで高めることこそが、「心技体」をバランスよく発達させる最良の方策であると思います。
この一を貫く道を、「養根の道」として私たちは求め続けているのです。
和歌・連歌・絵画・茶の湯など、分野は違うけれども、その貫く道は一つであるということです。もちろん芭蕉自身も、俳句に於いて同じ一つの道を貫いているという自負があったことでしょう。
すべてを貫く一つの道とは何でしょうか? 剣術はもとより、絵画、彫金、書など「諸芸諸能の道」に通じていた宮本武蔵にとって、一つの道を貫くものは、剣の理ということになります。武蔵は師につくことなく、自ら究めた剣の理によって、絵を描き、彫刻をし、書を書き、いずれの道でも一流の作を残しました。
今の時代に、剣の道を究めようというのは万人向きとはいえません。剣よりも、誰もが近づける一を貫く道は、呼吸を調えることです。誰もが日常行っている呼吸を調えて、呼吸を丹田呼吸にまで高めることこそが、「心技体」をバランスよく発達させる最良の方策であると思います。
この一を貫く道を、「養根の道」として私たちは求め続けているのです。
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