剣と丹田
『直心影流(じきしんかげりゆう)法定(ほうじよう)目録伝解』という伝書には、次のような丹田についての記述があります。ます。
平日非日常共に、心丹田に有時(あるとき)は万事に怖れ迷う事なく、決断臨機応変の自由をなす者也(なり)。心を丹田に治むるを正直とす。丹田とは心の居処(いどころ)也、即ち田畑より五穀に出る如く、丹田より万事を生じ出す故丹田と云う。
(原文の片仮名を平仮名、送り仮名等一部改めています)
日常でも特別な時でも、常に心を丹田に置いておくと、とっさに冷静な判断ができ、あらゆる事態において臨機応変の対処できる、ということが書いてあります。
直心影流法定とは、本来人間が有している〝いのちのはたらき〟を、あるがままに顕現するための鍛練法であると言えます。日常生活においていつの間に狂ってしまった〝いのちのはたらき〟を、本来の姿にもどすための型ということです。
五穀のいのちが生え出る田畑と、〝いのちのはたらき〟の場である丹田は相似的な関係にあります。
自分の身に備わった豊饒(ほうじよう)な田畑である丹田を、丹田呼吸法によって形成しておきましょう。
平日非日常共に、心丹田に有時(あるとき)は万事に怖れ迷う事なく、決断臨機応変の自由をなす者也(なり)。心を丹田に治むるを正直とす。丹田とは心の居処(いどころ)也、即ち田畑より五穀に出る如く、丹田より万事を生じ出す故丹田と云う。
(原文の片仮名を平仮名、送り仮名等一部改めています)
日常でも特別な時でも、常に心を丹田に置いておくと、とっさに冷静な判断ができ、あらゆる事態において臨機応変の対処できる、ということが書いてあります。
直心影流法定とは、本来人間が有している〝いのちのはたらき〟を、あるがままに顕現するための鍛練法であると言えます。日常生活においていつの間に狂ってしまった〝いのちのはたらき〟を、本来の姿にもどすための型ということです。
五穀のいのちが生え出る田畑と、〝いのちのはたらき〟の場である丹田は相似的な関係にあります。
自分の身に備わった豊饒(ほうじよう)な田畑である丹田を、丹田呼吸法によって形成しておきましょう。
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