ポジティブ・シンキング
以前、読売新聞の「編集手帳」欄に、次のような小学校3年生の男の子の詩が紹介されていました。
《交かん》
人間ってね
イヤなことが
いっぱいたまると
幸運と交かんできるんだよ
毎日の生活で出会うイヤなことは、幸運と交換できる金貨のようなものなのだ、と、この少年はいうのです。イヤなことから逃げずに、むしろ歓迎するという究極のポジティブ・シンキングです。
「絶望は愚者の結論である」と、英国ヴィクトリア朝時代の首相であったベンジャミン・ディズレーリ(1804~1881)は言っています。問題には必ず解決が用意されていることを信じて、何があっても絶望的にならず、いつも楽観的に希望を持って生きていきたいものです。何があっても絶望することを知らない人には、悪運のほうが根気負けして逃げていきます。
私たちは自分を守ろうとして、重い鎧を着こんで生きているところがあります。悲観というものも、自分を守ろうとして着こむ鎧なのです。その鎧の重さが、絶望感として感じられるのです。修行は力んで行うものではありません。自我防衛の鎧を脱いで、肩の力を抜き、楽観的に生きるのが修行です。
養根塾では、「波浪息」という呼吸法を行います。「波浪息」は、自我防衛の鎧を脱ぐための最良の方法です。
※7月10日(火)の養根塾はお休みです。
《交かん》
人間ってね
イヤなことが
いっぱいたまると
幸運と交かんできるんだよ
毎日の生活で出会うイヤなことは、幸運と交換できる金貨のようなものなのだ、と、この少年はいうのです。イヤなことから逃げずに、むしろ歓迎するという究極のポジティブ・シンキングです。
「絶望は愚者の結論である」と、英国ヴィクトリア朝時代の首相であったベンジャミン・ディズレーリ(1804~1881)は言っています。問題には必ず解決が用意されていることを信じて、何があっても絶望的にならず、いつも楽観的に希望を持って生きていきたいものです。何があっても絶望することを知らない人には、悪運のほうが根気負けして逃げていきます。
私たちは自分を守ろうとして、重い鎧を着こんで生きているところがあります。悲観というものも、自分を守ろうとして着こむ鎧なのです。その鎧の重さが、絶望感として感じられるのです。修行は力んで行うものではありません。自我防衛の鎧を脱いで、肩の力を抜き、楽観的に生きるのが修行です。
養根塾では、「波浪息」という呼吸法を行います。「波浪息」は、自我防衛の鎧を脱ぐための最良の方法です。
※7月10日(火)の養根塾はお休みです。
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