王陽明と養根
江戸時代の公式学問の朱子学に対して、陽明学は、公的な保護下にないだけにかえって、生命力に富む学問体系でした。陽明学は、中国の明の時代に、王陽明によって樹立されたものです。
王陽明は、その弟子の編纂した『伝習録』の中で、次のように語っています。
「志を立て功を用いるは、樹を種えるがごとく然り。その根芽に方りては、なお未だ幹あらず。枝ありて後葉あり、葉ありて後花実あり。初め根を種える時は、只管栽培灌漑して、枝想を作すこと勿れ、葉想を作すこと勿れ、花想を作すこと勿れ、実想を作すこと勿れ。懸想するも何の益かあらん。ただ栽培の功を忘れずんば、枝葉花実ある没きを怕れんやと。」
大きな目的を目指す時は、樹木を植えるようにすることである。初めは根を植えるときに、枝や葉が繁るだろうか、花が咲くだろうか、実がなるだろうかと、心配しても何の利益にもならない。今、この根がキッチリと根付くことを思って、先のことをあれこれ悩まないことが大切である。・・・といった意味です。
王陽明は軍人でもあったので、その説くところは、理想論に片寄らず現実を重視したものになっています。日常の仕事を通して学んでいくという「事上錬磨」という彼の言葉にも、そのことが表れています。
根を大切にすること自体、現実重視の考えが表れています。花が咲き実が成る樹木を育てるには、まず根を養うにことです。
丹田呼吸法の実修は、根を養うことです。血流を促進し、自律神経を活性化し、内分泌系を調え、免疫系を盛んにし、中枢神経を冴えわたらせ、筋肉をバランスよく働かせるには、根である丹田を錬ることが何よりも先決です。
王陽明は、その弟子の編纂した『伝習録』の中で、次のように語っています。
「志を立て功を用いるは、樹を種えるがごとく然り。その根芽に方りては、なお未だ幹あらず。枝ありて後葉あり、葉ありて後花実あり。初め根を種える時は、只管栽培灌漑して、枝想を作すこと勿れ、葉想を作すこと勿れ、花想を作すこと勿れ、実想を作すこと勿れ。懸想するも何の益かあらん。ただ栽培の功を忘れずんば、枝葉花実ある没きを怕れんやと。」
大きな目的を目指す時は、樹木を植えるようにすることである。初めは根を植えるときに、枝や葉が繁るだろうか、花が咲くだろうか、実がなるだろうかと、心配しても何の利益にもならない。今、この根がキッチリと根付くことを思って、先のことをあれこれ悩まないことが大切である。・・・といった意味です。
王陽明は軍人でもあったので、その説くところは、理想論に片寄らず現実を重視したものになっています。日常の仕事を通して学んでいくという「事上錬磨」という彼の言葉にも、そのことが表れています。
根を大切にすること自体、現実重視の考えが表れています。花が咲き実が成る樹木を育てるには、まず根を養うにことです。
丹田呼吸法の実修は、根を養うことです。血流を促進し、自律神経を活性化し、内分泌系を調え、免疫系を盛んにし、中枢神経を冴えわたらせ、筋肉をバランスよく働かせるには、根である丹田を錬ることが何よりも先決です。
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