平野元良の『養生訣』
江戸時代末期に、平野元良(寛政二〈一七九〇〉~慶応三〈一八六七〉)という名医がおりました。本名は重誠ですが、革谿、桜寧室など、いろいろな名で呼ばれています。
彼の著した『養生訣(ようじようけつ)』は、丹田呼吸法や健康法などについて触れられていて、当時のベストセラーでした。
平野元良の丹田呼吸法は、白隠禅師から、東嶺、寺田宗有、白井亨という系譜をたどって伝わったものです。
「寺田・白井のごときは、実に二百年来の名人なり」と『日本剣道史』で、著者の山田次郎吉が絶賛している幕末の両剣豪の道統に連なるだけに、剣術にも通じていたようです。特に彼の直接の師である白井亨は、丹田呼吸法の習練により、独自の剣の道に達した人です。
「気息(いきあい)を臍下に充実(みた)しむれば、よく百病を除くということ、実(まこと)にその験(しるし)あり。」
と、元良先生は、丹田呼吸法の効能を述べています。
白隠禅師の、「我がこの気海丹田腰脚足心、総にこれ本来の面目、面目何の鼻孔かある」という、丹田の重要性を説いた内観の法の効果を、医師の立場から断言しています。
平野元良師の説く教えは、藤田霊斎師の丹田呼吸法にも大きな影響を与えています。
彼の著した『養生訣(ようじようけつ)』は、丹田呼吸法や健康法などについて触れられていて、当時のベストセラーでした。
平野元良の丹田呼吸法は、白隠禅師から、東嶺、寺田宗有、白井亨という系譜をたどって伝わったものです。
「寺田・白井のごときは、実に二百年来の名人なり」と『日本剣道史』で、著者の山田次郎吉が絶賛している幕末の両剣豪の道統に連なるだけに、剣術にも通じていたようです。特に彼の直接の師である白井亨は、丹田呼吸法の習練により、独自の剣の道に達した人です。
「気息(いきあい)を臍下に充実(みた)しむれば、よく百病を除くということ、実(まこと)にその験(しるし)あり。」
と、元良先生は、丹田呼吸法の効能を述べています。
白隠禅師の、「我がこの気海丹田腰脚足心、総にこれ本来の面目、面目何の鼻孔かある」という、丹田の重要性を説いた内観の法の効果を、医師の立場から断言しています。
平野元良師の説く教えは、藤田霊斎師の丹田呼吸法にも大きな影響を与えています。
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