心を込めて呼吸をする
「大安般守意経」という仏教のお経があります。原典のサンスクリット語では「アナパーナサティ」と言います。お釈迦様が、呼吸法について説いた経典です。
「安般」とは、「アーナパーナ」というサンスクリット語の音を漢字に訳したもので、「呼吸」という意味です。「守意」は「サティ」で、こちらは意訳です。「意を守る」ということで、意識を集中することです。
ですから、 『大安般守意経』とは、呼吸に意識を集中する偉大なる教えということになります。6年間の荒行で、人生の大疑問を解決することが出来なかったお釈迦様が、呼吸に集中して坐ることで悟りを開きました。その体験に基づいて説かれたお経です。
日ごろ無意識に、無造作に行なっている呼吸を、意識的に丁寧に心を込めて行なっていると、今ここに、与えられている「いのち」が、鮮明にクローズアップされてきて、生きている実感を強く感じることができます。
呼吸に限らず、今行なっていることに意識を集中すると、雑念が収まって気持ちが澄みきってきます。そうなると、その行なっていることの質が高まって、本人にも意外な力を発揮することになります。スポーツ選手が言う、ゾーンにはいるという現象です。
茶道では、どんな些細な動作でもおろそかにしないで、心を込めて丁寧に行います。茶道修行の行き届いた人のお点前は美しく、宇宙の流れに乗っているかのように見事です。お茶の限らず、名人と言われる人の所作はとどこおりを感じません。
雑念の中での行為は、今与えられているかけがえのないいのちを空回りさせ、生きがいを失わせます。こうした雑念の習慣を断ち切り、意識の集中を可能にしてくれるのが、お釈迦様の説いた、「大安般守意経」、すなわち、心を込めた呼吸を心がけることです。
養根塾で実修する丹田呼吸法は、お釈迦様の「大安般守意経」に系譜の連なる呼吸法です。
「安般」とは、「アーナパーナ」というサンスクリット語の音を漢字に訳したもので、「呼吸」という意味です。「守意」は「サティ」で、こちらは意訳です。「意を守る」ということで、意識を集中することです。
ですから、 『大安般守意経』とは、呼吸に意識を集中する偉大なる教えということになります。6年間の荒行で、人生の大疑問を解決することが出来なかったお釈迦様が、呼吸に集中して坐ることで悟りを開きました。その体験に基づいて説かれたお経です。
日ごろ無意識に、無造作に行なっている呼吸を、意識的に丁寧に心を込めて行なっていると、今ここに、与えられている「いのち」が、鮮明にクローズアップされてきて、生きている実感を強く感じることができます。
呼吸に限らず、今行なっていることに意識を集中すると、雑念が収まって気持ちが澄みきってきます。そうなると、その行なっていることの質が高まって、本人にも意外な力を発揮することになります。スポーツ選手が言う、ゾーンにはいるという現象です。
茶道では、どんな些細な動作でもおろそかにしないで、心を込めて丁寧に行います。茶道修行の行き届いた人のお点前は美しく、宇宙の流れに乗っているかのように見事です。お茶の限らず、名人と言われる人の所作はとどこおりを感じません。
雑念の中での行為は、今与えられているかけがえのないいのちを空回りさせ、生きがいを失わせます。こうした雑念の習慣を断ち切り、意識の集中を可能にしてくれるのが、お釈迦様の説いた、「大安般守意経」、すなわち、心を込めた呼吸を心がけることです。
養根塾で実修する丹田呼吸法は、お釈迦様の「大安般守意経」に系譜の連なる呼吸法です。
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