中川一政画伯と丹田呼吸
丹田呼吸は、武道家や瞑想をする人だけでなく、芸術家にも大切であることの例として、幸田露伴と丹田呼吸について述べました。今回は、洋画家として、また陶芸や版画、随筆など多能ぶりを発揮した、中川一政画伯と丹田呼吸について書いてみたいと思います。
中川一政さん(1893〈明治26〉年~1991〈平成3〉年)は、次のように言っています。
「丹田に力がある時は身体にバランスが行き渡っている。丹田に力がない時は肩が凝ったり背中が痛くなるのだ。私は意識的に丹田を考えたことはない。意識しないのに丹田が出て来た。そして考えるに、丹田に力が入っている時が私の全力が出る時だ。(略)私は考える。人間が一番人間たる時は、臍下丹田が整っている時である。一番活気な時である。(中川一政『随筆八十八』)
中川さんは、「意識に丹田のことを考えたことはないのに、丹田が出てきた」と言っていますが、元々絵を描くことで丹田を練っていたのでしょう。書にしても絵画にしても、活きた線を書くには、丹田の力が必要なのです。
フランスの画家マチス(2869年~1954年)は、大きな絵を描く時、長い棒の先に鉛筆をつけて力強い線を描くことができたということです。こんな芸当ができたのも、マチスは丹田があったのだと思います。
中川画伯が90歳半ばを過ぎても、かくしゃくとして制作を続けることができたのも、丹田の力によるものなのだと思います。
「丹田が整っている時、一番活気にあふれている時である」と、中川画伯自身語っているように、中川一政の絵画と丹田の力は、切っても切れない関係にあるのです。
中川一政さん(1893〈明治26〉年~1991〈平成3〉年)は、次のように言っています。
「丹田に力がある時は身体にバランスが行き渡っている。丹田に力がない時は肩が凝ったり背中が痛くなるのだ。私は意識的に丹田を考えたことはない。意識しないのに丹田が出て来た。そして考えるに、丹田に力が入っている時が私の全力が出る時だ。(略)私は考える。人間が一番人間たる時は、臍下丹田が整っている時である。一番活気な時である。(中川一政『随筆八十八』)
中川さんは、「意識に丹田のことを考えたことはないのに、丹田が出てきた」と言っていますが、元々絵を描くことで丹田を練っていたのでしょう。書にしても絵画にしても、活きた線を書くには、丹田の力が必要なのです。
フランスの画家マチス(2869年~1954年)は、大きな絵を描く時、長い棒の先に鉛筆をつけて力強い線を描くことができたということです。こんな芸当ができたのも、マチスは丹田があったのだと思います。
中川画伯が90歳半ばを過ぎても、かくしゃくとして制作を続けることができたのも、丹田の力によるものなのだと思います。
「丹田が整っている時、一番活気にあふれている時である」と、中川画伯自身語っているように、中川一政の絵画と丹田の力は、切っても切れない関係にあるのです。
スポンサーサイト