真人の息
真人の息(いき)は是を息(そく)するに踵(くびす)を以てし、
衆人の息は是を息するに喉(のど)を以てす。
『荘子(大宗師篇)』
上は、『荘子(推定 紀元前369~286)』の中の、荘子の呼吸に関する有名な言葉です(註:書名の場合は「そうじ」、人物を言う場合はは「そうし」と読みます)。
真人、つまり真理を悟った人はかかとで呼吸をし、一般の人はのどで呼吸をするというのです。
呼吸は、のどから肺を通じて出たり入ったりしています。いくら深い真理を悟っても、かかとで呼吸をすることはあり得ません。
肺からのどという近い距離ではなく、最も遠いかかとまで通っているような、長い息が真人の呼吸だということなのだと思います。局部ではなく、全身で呼吸をしているということです。
もう一つは、かかとまで貫き通すような力強い息、すなわち丹田呼吸が真人の呼吸だというのです。さらに言えば、のどという上部を意識するのではなく、足の裏という下部を意識することが、上等な呼吸であるということです。
白隠禅師も『夜船閑話』という著書の中で、 「おおよそ生を養うの道、上部は常に清涼ならんことを要し、下部は常に温暖ならんことを要せよ」と言っています。
上半身は、いつも涼しげに力が抜けていること。そして、下半身、特に下腹は温かく力強く充実していることが大事です。 頭寒足熱ということですね。心虚腹実、上虚下実というのも同じ意味です。この状態のとき、人は身も心も十全にはたらき出します。
丹田呼吸法は、その実現のためにも大きなはたらきをします。
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