上虚下実のすすめ
紀元前4世紀頃活躍した荘子(そうし)は、「大道廃れて仁義あり」といったような、パンチのきいた逆説的発言が魅力の中国の哲人です。その荘子に、次の言葉があります。
真人の息(いき)は是を息(そく)するに踵(くびす)を以てし、衆人の息は是を息するに喉(のど)を以てす。
真人、つまり真理を悟った人はかかとで呼吸をし、一般の人はのどで呼吸をするというのです。息は、肺からのどを通って出たり入ったりしています。
いくら深い真理に達した人でも、かかとで息をするわけはありませんが、肺から最も遠い位置にあるかかとまで貫く通すような、強く長い息が真人の息だということなのでしょう。さらに言えば、のどという上部を意識するのではなく、足の裏という下部を意識することが、上等な呼吸であるということです。つまり上虚下実が大切なのだということです。
江戸時代の禅の名僧、白隠禅師も『夜船閑話』の中で次のように述べています。
「おおよそ生を養うの道、上部は常に清涼ならんことを要し、下部は常に温暖ならんことを要せよ」
二人の達人が符節を合わせて、「上虚下実」の重要性を説いています。
真人の息(いき)は是を息(そく)するに踵(くびす)を以てし、衆人の息は是を息するに喉(のど)を以てす。
真人、つまり真理を悟った人はかかとで呼吸をし、一般の人はのどで呼吸をするというのです。息は、肺からのどを通って出たり入ったりしています。
いくら深い真理に達した人でも、かかとで息をするわけはありませんが、肺から最も遠い位置にあるかかとまで貫く通すような、強く長い息が真人の息だということなのでしょう。さらに言えば、のどという上部を意識するのではなく、足の裏という下部を意識することが、上等な呼吸であるということです。つまり上虚下実が大切なのだということです。
江戸時代の禅の名僧、白隠禅師も『夜船閑話』の中で次のように述べています。
「おおよそ生を養うの道、上部は常に清涼ならんことを要し、下部は常に温暖ならんことを要せよ」
二人の達人が符節を合わせて、「上虚下実」の重要性を説いています。
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