玉簾不断
禅の本などで、「玉簾不断(ぎょくれんふだん)」という言葉をよく目にします。
玉簾とは玉で飾った美しいすだれのことですが、ここでは瀧のことです。瀧は絶え間なく連なる水の流れのようですが、実は一滴一滴の水から成り立っています。
私たちは、時の流れの中に流されるように生きていますが、「一瞬一瞬の時を自覚して充実して生きよう」というのが、禅語としての「玉簾不断」の意味するところです。
浄土宗の僧侶で広島大学教授であった山本空外博士(1902~2001)は、玉簾と同じ意味で「点化」という言葉を使っています。正念相続とか、マインドフルネスとか、似た意味を表す言葉はありますが、点化というのは実にいい表現です。
一点に集中して、その一事に丁寧に向き合うことです。茶道の点前という言葉も、客をもてなすことの一点に身心を集中することとであるということです。
丹田呼吸は、「点化」のためのすぐれた方法です。いのちのための基本的行為である、息という玉簾の一滴一滴、一点一点に集中するのが丹田呼吸です。日常の丹田呼吸の実践は、あらゆる分野での点化のための基本的な行為として、多くの方々に実践いていただきたいと思います。
玉簾とは玉で飾った美しいすだれのことですが、ここでは瀧のことです。瀧は絶え間なく連なる水の流れのようですが、実は一滴一滴の水から成り立っています。
私たちは、時の流れの中に流されるように生きていますが、「一瞬一瞬の時を自覚して充実して生きよう」というのが、禅語としての「玉簾不断」の意味するところです。
浄土宗の僧侶で広島大学教授であった山本空外博士(1902~2001)は、玉簾と同じ意味で「点化」という言葉を使っています。正念相続とか、マインドフルネスとか、似た意味を表す言葉はありますが、点化というのは実にいい表現です。
一点に集中して、その一事に丁寧に向き合うことです。茶道の点前という言葉も、客をもてなすことの一点に身心を集中することとであるということです。
丹田呼吸は、「点化」のためのすぐれた方法です。いのちのための基本的行為である、息という玉簾の一滴一滴、一点一点に集中するのが丹田呼吸です。日常の丹田呼吸の実践は、あらゆる分野での点化のための基本的な行為として、多くの方々に実践いていただきたいと思います。
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