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生かされている

 この息は神仏そのもののいのちである。この息によって身は神仏とひとつに結びついている。 宮崎童安(明治21〈1888〉~昭和38〈1963〉)

 野の思想家と言われた詩人と呼ばれた宮崎童安の言葉です。
 息を数分止めれば、私たちは死んでしまうわけで、息はいのちそのものです。
 息をすることは、自分で考えだしたことではないし、習い覚えたものでもありません。生まれた時から自然に息をしていました。それから見ても、まさに神仏から頂いた,神仏そのもののいのちを生きていることになります。
 そして、吐く息吸う息によって神仏と交流し合い、ひとつに結びついているのです。
 もう一つ童安の詩を見て、生かされている身であることを自覚したいと思います。

 《必然に従う》
生命の必然に随って動く
その良さを知った
花がひらくように
雲が動くように
水が流れるように
私は私の生命の
必然に従おう
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呼吸の質

息を行(や)るのは、息を「空(くう)」に向かわしめるためである。
         『大安般守意経(だいあんぱんしゆいきよう)』より 


 『大安般守意経(アナパーナサチ)』は、呼吸に意識を用いること、すなわち呼吸法を説いた仏教経典です。
 息も呼吸も、英語で言えばbreathingですが、少しニュアンスが違います。『天台小止観』という本には、呼吸には、「風(ふう)・喘(せん)・気・息」の四つの形があって、「風」が最も悪い呼吸で、「息」が最も良い呼吸であると言っています。
 「風」は、空気が鼻を出入りするとき、音がして粗っぽい呼吸のことです。喘、気と、少しずつ良くなっていって、「息」は最も良質な呼吸で、音もなく結滞もなく、きめ細かく滑らかな呼吸だと言うのです。
 「行(や)る」というのは、修行するということです。まず、風から喘、気と、呼吸の質を上げていって、息にまで高める修行をするということです。そしてさらに息を、「空」に向かわせるということが、呼吸法修行の目的だということです。
 私たちのいのちというものは、自分の内部だけで閉じていては維持することが出来ません。すなわち、いのちは開放系であり、空(宇宙)にまでつながることで、生き生きとはたらくのです。
 

自己位置認識と丹田呼吸

 旅の目的地に間違いなく無事到着するために大事なことが二つあります。一つ目は出発点を正確に認識していること。二つ目は正しい方向に向かっているかということです。
 人生を旅にたとえれば、同じことが言えます。一つ目は自分の今居る位置を正しく知っていること。そして二つ目は方向が狂っていないことです。
 普通の旅ですと、どちらも難しいことではありません。〇〇県〇〇市〇〇町○丁目○番地から出発することは、正確にわかります。方向だって、どこにも標示がありますから間違えることはありません。
 ところが人生の旅となると事情が違ってきます。まず自分の位置を正しく認識することが難しくなります。自己防衛機制、劣等感、被害者意識などがからまって、正しい自己位置が自覚できなくなってしまうのです。そして自己位置認識の狂いが、最初のボタンの掛け違いとなって、あらぬ方向に向かって進むことになってしまうのです。
 
 自己位置認識のわずかな狂いは、先に進むほど大きくx増幅されて、当初の目的地とは全然違うところに迷い込むことになります。
 自己防衛機制、劣等感、被害者意識とは、心の乱れに外なりません。心の乱れが、真実を見失なわせるのです。その心の乱れを鎮めるには、呼吸を調えることが最も有効な手段です。 丹田呼吸には心を鎮め浄める力があるのです。丹田呼吸の修練によって心を鎮め、浄めて、常に正しい自己位置に目覚めていましょう。
 
 
 
 
 

ハードとソフトをつなぐもの

  「コンピューター ソフトなければ ただの箱」というわけで、ハードウェアとソフトウェアが揃ってはじめて、パソコンは機能を発揮することができます。
 私たち人間も、ハードウェア(身体)とソフトウェア(心)が必要です。人間は生き物ですから、さらにそこへいのちを吹き込まなければなりません。

 禅には「調身・調息・調心」という言葉があります。禅に限らず、ヨーガや気功でも、自分を進歩させ調和させるために、身体を調え、息を調え、心を調えることが必須要件です。
 息は「イキ」という音からみても、「イキル」に通じます。私たちにいのちを吹き込むのは息です。調身と調心の間にあって、身心統一を図り、いのちを活性化するのが調息の役割です。

 調息とは、日頃無意識に行っている呼吸を、意識的に念をこめて行うことです。お釈迦様は、「弟子たちよ、入息出息を念ずることを実習するがよい。かくするならば、身体は疲れず、眼も患まず、観えるままに楽しみて住み、あだなる楽しみに染まぬことを覚えるであろう。(雑阿含経)」と言っています。

 最近「マインドフルネス呼吸法」という言葉を多く見聞きしますが、、このお釈迦様の「入息出息を念ずる」ことを言っています。
 藤田霊斎師を継いで、調和道協会の会長となった村木弘昌博士は、「入息、出息を念じつつ行うならば、それは自ずから丹田呼吸になっているのです。」と、著書『釈尊の呼吸法』に書いています。
 根を養えば、幹や枝や葉や花や実は自ずから育ち繁り咲き、実ります。丹田呼吸の実修は、ハードとソフトをつなぎ、全体を活かすための根源的な修養法なのです。

 
 

「創世記」と丹田呼吸

 「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。」と、『旧約聖書「創世記』にあります。
 土の塵で形づくられたというところに興味を引かれますね。ヘブライ語では、土(アダマ)と人(アダム)とは、音が似ています。私たちの体の成分は、土とほとんど同じだそうです。炭素・酸素・水素・窒素・リン・鉄・マンガン・亜鉛・・・等々、全て土にも人体にも共通するものばかりです。
 ちなみに、体を構成している元素を原価計算すると、せいぜい数千円程度だそうです。
 こんなに安い原材料からできているのでは、万物の霊長も形無しですが、「主なる神」から「命の息を吹き入れられた」ことによって「生きる者」となったということで、一気に価値は上昇するちうわけです。

 丹田呼吸法を実際にやってみて気づくことは、吐く息を丁寧に意識を集中して行なっていると、吸う息は自然に入ってくるような感じがすることです。それはまさに、「命の息を吹き入れられた」という感じがします。
 このあたりも、創世記の記述は、呼吸の正しい在り方を示唆しているように思います。
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プロフィール

鈴木光彌

Author:鈴木光彌
1943年(昭和18)東京都葛飾区水元に生まれる
法政大学法学部卒
在学中は応援団に所属し、副団長を務めていたが、今も、人々に生きる勇気と喜びを鼓吹する応援団を任じている。、
昭和55年、公益社団法人調和道協会に入会し、丹田呼吸法を学ぶ
以来研鑚を重ね、現在養根塾を主宰して活動中
著書:「丹田湧気法入門」柏樹社(共著)、「丹田を創る呼吸法」BABジャパン、「丹田を創って『腹の人』になる」小学館、「藤田霊斎 丹田呼吸法」佼成出版社

【養根塾】
◇会場: 高輪アンナ会館
東京都港区高輪2-1-13
都営浅草線 泉岳寺駅A2口徒歩5分
◇日時:毎週火 1:00~3:00PM
◇会費:1000円/1回
自由ヶ丘教室 第2・4金 10:30AM
若葉教室 毎週金 6:00PMも併設
お問合せ 090-5405-4763 鈴木
Eメール
mitsuya@wf7.so-net.ne.jp

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