EASY COME, EASY GO
かつて、合気道仲間のアメリカ人青年から、“easy come, easy go”ということわざを聞きました。直訳すれば「容易に来るものは、容易に行ってしまう」といったところでしょうか。宮本武蔵の、「千日の鍛、万日の錬」を思い出させる言葉です。
宮本武蔵は、剣術家としてだけではなく、絵画、彫金などの芸術家としても高い評価を得ています。文章もなかなかのもので、武蔵野書いた『五輪書』は、有益な金言に富んだ名著です。
「千日の鍛、万日の錬」は、その『五輪書』にある言葉で、鍛には千日、つまり約三年を要し、錬には万日、約三十年を要するということです。同書には「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉もあります。「鍛」とは肉体面の向上を図ることであり、「錬」とは精神面の向上を図ることではないかと思います。
禅でも気功でも、調身・調息・調心を実修の基本として挙げています。調息が調身と調心の中間にあることは意味があります。息を調えることが、身体と心をつなげる役割を果たしているということです。
「身心一如」という言葉があるとおり、身体と心は別のものではありません。私たちが持てる能力を十分にはたらかせるには、身体と心を統一しなければなりません。そのために、息によって身と心を統一させるのです。息(呼吸)にはそういう力があるのです。
対立からは生み出されるものは、憎しみや闘争です。息の有する融合力は、対立を解消し、争いを避け、融和をもたらすはたらきがあります。
この呼吸を身に付けるうえで、性急に功を焦ると“easy come, easy go”になってしまいます。ここは是非、「千日の鍛、万日の錬」の精神で、じっくりと取り組む必要があります。
宮本武蔵は、剣術家としてだけではなく、絵画、彫金などの芸術家としても高い評価を得ています。文章もなかなかのもので、武蔵野書いた『五輪書』は、有益な金言に富んだ名著です。
「千日の鍛、万日の錬」は、その『五輪書』にある言葉で、鍛には千日、つまり約三年を要し、錬には万日、約三十年を要するということです。同書には「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉もあります。「鍛」とは肉体面の向上を図ることであり、「錬」とは精神面の向上を図ることではないかと思います。
禅でも気功でも、調身・調息・調心を実修の基本として挙げています。調息が調身と調心の中間にあることは意味があります。息を調えることが、身体と心をつなげる役割を果たしているということです。
「身心一如」という言葉があるとおり、身体と心は別のものではありません。私たちが持てる能力を十分にはたらかせるには、身体と心を統一しなければなりません。そのために、息によって身と心を統一させるのです。息(呼吸)にはそういう力があるのです。
対立からは生み出されるものは、憎しみや闘争です。息の有する融合力は、対立を解消し、争いを避け、融和をもたらすはたらきがあります。
この呼吸を身に付けるうえで、性急に功を焦ると“easy come, easy go”になってしまいます。ここは是非、「千日の鍛、万日の錬」の精神で、じっくりと取り組む必要があります。
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