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肚の文化

 日本の心療内科の草分け池巳酉次郎博士は、「肚の文化が人類を救う」という言葉を残しています。
 池見博士の言う「肚の文化」とは、物事を統合的に見ていこうとする文化であると思います。論理に対して直観といったところです。また西洋的学識に対して東洋的叡智といってもよいかもしれません。
 「肚の文化」とは、身体の活動を通して宇宙の意識を直感する感性を重んじる文化であると、私は思います。いわば身体知を喚起して生命知を自覚する文化であります。現実に対して全身の機き(はたらき)をもって対処し、そこから人生の本質を学んでいく態度です。このような知恵が問うように、とりわけ日本には今も残されているのです。この文化こそ、世界の人達に知らせることは、私たちの大きな使命であると思います。
 また、上智大学名誉教授で、カトリックの神父でかつ臨在禅の師家であった門脇佳吉先生は、「この混迷の世を救うものは丹田呼吸しかない」と断言しています。
 「肚の文化」を担うためには、一人一人が「肚の人」にならなければなりません。そのために必要なのが丹田呼吸」なのです。

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短歌は呼吸で詠む

 だいぶ前の話ですが、歌人の馬場あき子さんが、NHKの短歌の番組に出ておりました。そのときの馬場さんのお話は、呼吸はいのちであるから、短歌を詠むにも呼吸の工夫が大切であるということでした。どのように呼吸を工夫するのかというと、間のところで息を継がないことだと言うのです。

 たとえば石川啄木の、
東海の小島の磯の白砂に我泣き濡れて蟹とたわむる
という歌を詠むとき、「白砂に」と「我泣き」で間ができます。そこで息継ぎをしないということです。
 息継ぎをすると、息継ぎの前と後の調子が微妙に違ってきてしまうというのです。確かに息継ぎをすると、その前後が異質なものになり、つながりが途切れていのちを失い、木に竹を継いだようになってしまいます。

 朗誦の名手でもある馬場さんのお話を聞いて、呼吸というものの玄妙さに改めて感じ入ったものでした。

微笑の徳

 松居桃樓(まついとうる)著、『禅の源流をたずねて(柏樹社)』は、『天台小止観』を意訳した本です。悟りとは交感神経と副交感神経のバランスがとれていて、ニコニコと微笑んだ状態になることであると書いてあります。そして、修行の目的は、「微笑めなくなる種をまかないこと」、そして、「微笑みの芽を育てること」であるというのです。
 微笑みは、一切肯定、受容、好意、赦し、そして愛の端的な表れです。釈尊が一枝の花を大勢の弟子たちに示した時、ただ一人ニッコリと微笑んだ迦葉にその法を伝えたと言われています。迦葉の微笑みは、釈尊の全てを理解していることを如実に表していたのです。
 このように、ニコニコと微笑んでいるときに不安はありません。こういう状態のとき人は幸福を感じます。反対に、心を動揺させる感情とは、怒り、敵意、恐怖、不安、後悔、焦燥、怨恨、嫉妬、悲嘆、絶望といったものです。このような感情が心を支配しているとき、とてもニコニコなどしていられません。擬態語で表せば、カッカ、ムカムカ、ビクビク、クヨクヨ、イライラ、キリキリ、ジリジリ、メソメソ、ションボリという状態に心を占領されていることが不快な心であり、それは微笑みに象徴される平安な心の対極にあるものです。

胸中洒落の人

 江戸時代の儒学者、山崎闇斎(1619〈元和元〉年~1682〈天和2〉年)に、「有感」という漢詩があります。仮名混じりの読み下しにして掲げてみます。

  「有 感」
 坐(そぞ)ろに憶(おも)う天公世塵(てんこうせじん)を洗うかと
 雨過ぎて四望(しぼう)更に清新
 光風霽月(こうふうせいげつ)今猶(なお)在(あ)り
 唯(ただ)欠く胸中洒落(きようちゆうしやらく)の人


 「気持のよい夕立だ。天が世の中の塵を洗い流してくれたように思える。その雨が降りやんで、どこを見ても清々しい眺めだ。光風霽月のような高潔な人は今でもいるけれども、この雨上がりのような、胸にわだかまりを持たない、スッキリと力の抜けた胸中洒落の人はなかなかいないものだ」
 このように山崎闇斎は述懐しています。中国の黄庭堅(1045~1105)、またの名を黄山谷とも呼ばれる宋代の詩人も、「胸懐(きようかい)洒落なること光風霽月の如し」と言っています。闇斎はこの詩から引用したのかも知れません。
 洒落とは、「物事に頓着せず、さっぱりとしてわだかまりのないこと」と、広辞苑には書いてあります。
 「胸中洒落の人」は、養根塾が目指す上虚下実の人に通じる人間像です。

ポジティブ・シンキング

 以前、読売新聞の「編集手帳」欄に、次のような小学校3年生の男の子の詩が紹介されていました。

  《交かん》
  人間ってね 
  イヤなことが 
  いっぱいたまると
  幸運と交かんできるんだよ


 毎日の生活で出会うイヤなことは、幸運と交換できる金貨のようなものなのだ、と、この少年はいうのです。イヤなことから逃げずに、むしろ歓迎するという究極のポジティブ・シンキングです。
  「絶望は愚者の結論である」と、英国ヴィクトリア朝時代の首相であったベンジャミン・ディズレーリ(1804~1881)は言っています。問題には必ず解決が用意されていることを信じて、何があっても絶望的にならず、いつも楽観的に希望を持って生きていきたいものです。何があっても絶望することを知らない人には、悪運のほうが根気負けして逃げていきます。
 私たちは自分を守ろうとして、重い鎧を着こんで生きているところがあります。悲観というものも、自分を守ろうとして着こむ鎧なのです。その鎧の重さが、絶望感として感じられるのです。修行は力んで行うものではありません。自我防衛の鎧を脱いで、肩の力を抜き、楽観的に生きるのが修行です。
 養根塾では、「波浪息」という呼吸法を行います。「波浪息」は、自我防衛の鎧を脱ぐための最良の方法です。

※7月10日(火)の養根塾はお休みです。
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プロフィール

鈴木光彌

Author:鈴木光彌
1943年(昭和18)東京都葛飾区水元に生まれる
法政大学法学部卒
在学中は応援団に所属し、副団長を務めていたが、今も、人々に生きる勇気と喜びを鼓吹する応援団を任じている。、
昭和55年、公益社団法人調和道協会に入会し、丹田呼吸法を学ぶ
以来研鑚を重ね、現在養根塾を主宰して活動中
著書:「丹田湧気法入門」柏樹社(共著)、「丹田を創る呼吸法」BABジャパン、「丹田を創って『腹の人』になる」小学館、「藤田霊斎 丹田呼吸法」佼成出版社

【養根塾】
◇会場: 高輪アンナ会館
東京都港区高輪2-1-13
都営浅草線 泉岳寺駅A2口徒歩5分
◇日時:毎週火 1:00~3:00PM
◇会費:1000円/1回
自由ヶ丘教室 第2・4金 10:30AM
若葉教室 毎週金 6:00PMも併設
お問合せ 090-5405-4763 鈴木
Eメール
mitsuya@wf7.so-net.ne.jp

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