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ミゾオチを柔らかく

 もう50年以上も前に、山田霊林著『忘れる技術』という本を読んだことがあります。永平寺貫主、曹洞宗管長、駒沢大学総長という、履歴を見ただけでも禅のお坊さんが、こんな面白い本を書くのかと、感心したものでした。

 『忘れる技術』の効果でもないでしょうが、本の内容は忘れてしまいました。しかし、別の著書で読んだ霊林禅師の次の言葉はよく覚えています。 

 「下腹部の事を「気海丹田」と昔の人は言っています。元気・気力・勇気の満ち充ちているところの意味であります。気海丹田の弾力的になっているときは、元気・気力・勇気が全身に満ちわたっております。気海丹田が充実して来ますと、ミゾオチのところがくつろいで柔らかくなります。呼吸も心もちよく出来ます。そういうぐあいになったとき、姿勢を後から見ますと、腰のところにリンとしたハリが感じられます。腰が坐っているいるというのはこのことであります。」

 「気海丹田が充実して来ますと、ミゾオチのところがくつろいで柔らかくなります」という言葉に、本物の丹田呼吸をやりぬいたことがわかります。
 ミゾオチ辺りが柔かくなかったら、本当の丹田充実とは言えません。この大事なことを明言する人は多くありません。さすが厳しい坐禅修行の体験から打ち出された言葉として説得力があります。

 禅師は、丹田と併せて腰についても言及しています。腹と腰は表裏一体、丹田と言ったら腹だけでなく腰も重要な要素です。ミゾオチがくつろいで柔らかく、腰に凛としたハリがあり、丹田が充実し、丹田呼吸が完成するのです。


 3月4日(日)午前8:30~9:00、NHKラジオ第2放送「宗教の時間」で、金沢寿郎さんのインタビューを受けます。以前の再放送ですが、お時間があったらお聞きください。
 なお、8月11日(日)午後5:30~6:00にその再放送があります。  
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養根の力

 まだまだ寒い日が続きますが、目には見えない地面の下では着々と春の準備をしています。あと一月少々すると人々を魅了することになる桜も、根に美しい色香を蓄えて出番を待っています。

 養根塾では、「大地息」という呼吸法を実修します。調和道という丹田呼吸法を提唱した藤田霊斎師が創始したものです。この呼吸法を行うと、腹という大地の中に根を養っているという確かな実感が得られます。そして、腹の底からどえらいパワーが湧き上がってくる感じがしてきます。

 次の言葉は、この大地息の醍醐味を如実に言い表してくれています。

 我々は草木である。・・・そのことを我々が認めようと認めまいと、そんなことにかかわらず、・・・天空に花を咲かせ実を結びうるためには、根をもって土中から生い立たねばならない草木である。(ヨハン・ペーター・ヘーベル <1760~1826>)

 ヨハン・ペーター・ヘーベルは、ドイツのユーモア作家で詩人であり、政治家であった人です(訳者が不詳なので、無断で掲載させて頂きます)。岩波文庫から『ドイツ炉辺ばなし集』という作品が出版されています。
 貧しい家庭から、努力によって作家として名をあげ上院議員にまでなったヘーベルは、草木の根っこに自分を重ね合わせたのでしょう。草木に花を咲かせ実をならせるためには、大地の中にあって見ることのない根のはたらきがあってこそです。
 
 まもなく新芽が吹き、花が咲き、新緑に包まれる季節がやってきます。そんな草木の変化を見ていると、大地の根を養う潜在力が偲ばれます。 
 大地と丹田は、フラクタルな相似形の構造をなしているのです。

中川一政画伯と丹田呼吸

 丹田呼吸は、武道家や瞑想をする人だけでなく、芸術家にも大切であることの例として、幸田露伴と丹田呼吸について述べました。今回は、洋画家として、また陶芸や版画、随筆など多能ぶりを発揮した、中川一政画伯と丹田呼吸について書いてみたいと思います。

 中川一政さん(1893〈明治26〉年~1991〈平成3〉年)は、次のように言っています。

  「丹田に力がある時は身体にバランスが行き渡っている。丹田に力がない時は肩が凝ったり背中が痛くなるのだ。私は意識的に丹田を考えたことはない。意識しないのに丹田が出て来た。そして考えるに、丹田に力が入っている時が私の全力が出る時だ。(略)私は考える。人間が一番人間たる時は、臍下丹田が整っている時である。一番活気な時である。(中川一政『随筆八十八』)
 
 中川さんは、「意識に丹田のことを考えたことはないのに、丹田が出てきた」と言っていますが、元々絵を描くことで丹田を練っていたのでしょう。書にしても絵画にしても、活きた線を書くには、丹田の力が必要なのです。
 フランスの画家マチス(2869年~1954年)は、大きな絵を描く時、長い棒の先に鉛筆をつけて力強い線を描くことができたということです。こんな芸当ができたのも、マチスは丹田があったのだと思います。
 中川画伯が90歳半ばを過ぎても、かくしゃくとして制作を続けることができたのも、丹田の力によるものなのだと思います。
 「丹田が整っている時、一番活気にあふれている時である」と、中川画伯自身語っているように、中川一政の絵画と丹田の力は、切っても切れない関係にあるのです。

幸田露伴翁の丹田呼吸法

 明治の三大文豪として、森鴎外、夏目漱石、幸田露伴が挙げられます。このうち鴎外と漱石は、東京帝国大学出身のエリートですが、電信工をしながら独学独行の人です。

 そういう苦労人ですから、下世話なことにまで堪能で、掃除のこと炊事のことなど何でも知っていて出来てしまう。そこで大変なのは家族で、同居の娘であr幸田文さんは大変だったようです。

 「おしろいのつけかたも豆腐の切りかたも障子の張りかたも借金の挨拶も恋の出入りも、みんな父が世話をやいてくれた」と、文さんは、自身の随筆『あとみよそわか』に書いています。

 同じ随筆集の中に、まき割りを伝授している場面が書かれています。
 「二度こつんとやる気じゃだめだ。からだごとかかれ。横隔膜をさげてやれ。手のさきは柔らかくしとけ。腰はくだけるな。木の目、節のありどころをよく見ろ。」

 露伴のまき割り術はまさに丹田呼吸法そのものです。「横隔膜をさげてやれ」とは、「下実」を示しています。「手のさきを柔らかくしとけ」とは、上虚のことを言っています。

 実際、露伴がはたきをかけると、音もなく障子の桟のホコリを払い、ぞうきんを絞るのも、周囲に一滴の水もこぼさずにやってのけたそうです。あらゆる行動が丹田からなされていたのだと思います。
 
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プロフィール

鈴木光彌

Author:鈴木光彌
1943年(昭和18)東京都葛飾区水元に生まれる
法政大学法学部卒
在学中は応援団に所属し、副団長を務めていたが、今も、人々に生きる勇気と喜びを鼓吹する応援団を任じている。、
昭和55年、公益社団法人調和道協会に入会し、丹田呼吸法を学ぶ
以来研鑚を重ね、現在養根塾を主宰して活動中
著書:「丹田湧気法入門」柏樹社(共著)、「丹田を創る呼吸法」BABジャパン、「丹田を創って『腹の人』になる」小学館、「藤田霊斎 丹田呼吸法」佼成出版社

【養根塾】
◇会場: 高輪アンナ会館
東京都港区高輪2-1-13
都営浅草線 泉岳寺駅A2口徒歩5分
◇日時:毎週火 1:00~3:00PM
◇会費:1000円/1回
自由ヶ丘教室 第2・4金 10:30AM
若葉教室 毎週金 6:00PMも併設
お問合せ 090-5405-4763 鈴木
Eメール
mitsuya@wf7.so-net.ne.jp

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