腹の人を創る丹田呼吸法
人物の魅力を語ろうとするとき、その魅力の核心は言葉で言い尽くすことは出来ません。本当の魅力は、言葉で表せないところにあるのです。
言葉で長所として簡単に表せることは、かえってそれが臭みになってしまうことがあります。修行者がいかにも修行しましたというものが表に出てくるといやみになります。やさしい人がやさしい人間であることを標榜すると臭みになります。
いわゆる「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず」ということです。味噌臭さのなくなるまで熟(な)れ込むことが大切です。
「慈悲して慈悲するときは慈悲にあらず」と言います。慈悲していることを意識したのでは、もはや慈悲にならないということです。
昔から理想の人物像を「腹の人」と言ったのは、実践によって無意識にまで練りこんだ人のことです。
腹の人というと、武士道という言葉が浮かびます。腹を練ることで涵養される、礼節を重んじる心、恥を知り自らを慎む潔さ、天命を知ってそれを命がけで貫こうとする気概、周囲の人たちへの温かい慈悲の精神など、腹によって練られる徳性は、武士道精神と重なります。
武士道に磨きをかけた江戸時代の精神文化は、封建的の名の下に捨て去るには惜しい、高遠なものを備えています。それは今もなお、人類の共有財産とするに足るものを持ち合わせていました。
丹田呼吸法は、腹の人を目指す武士道の心が育んだ貴重な身体技法であり、心法であるのです。
言葉で長所として簡単に表せることは、かえってそれが臭みになってしまうことがあります。修行者がいかにも修行しましたというものが表に出てくるといやみになります。やさしい人がやさしい人間であることを標榜すると臭みになります。
いわゆる「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず」ということです。味噌臭さのなくなるまで熟(な)れ込むことが大切です。
「慈悲して慈悲するときは慈悲にあらず」と言います。慈悲していることを意識したのでは、もはや慈悲にならないということです。
昔から理想の人物像を「腹の人」と言ったのは、実践によって無意識にまで練りこんだ人のことです。
腹の人というと、武士道という言葉が浮かびます。腹を練ることで涵養される、礼節を重んじる心、恥を知り自らを慎む潔さ、天命を知ってそれを命がけで貫こうとする気概、周囲の人たちへの温かい慈悲の精神など、腹によって練られる徳性は、武士道精神と重なります。
武士道に磨きをかけた江戸時代の精神文化は、封建的の名の下に捨て去るには惜しい、高遠なものを備えています。それは今もなお、人類の共有財産とするに足るものを持ち合わせていました。
丹田呼吸法は、腹の人を目指す武士道の心が育んだ貴重な身体技法であり、心法であるのです。
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