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人は呼吸したとおりの人になる

 オステオパシーという治療法の第一人者ロバート・C・フルフォード(1905~1997)は、「人は呼吸したとおりの人になる」という言葉を残しています(『いのちの輝き』翔泳社)。 
 オステオパシーは、アメリカのアンドリュー・スティル医師によって創始された、骨格の調整などで治療を加える医学体系で、発祥のアメリカにおいて有資格者は、正規の医師として認められているそうです。
 冒頭の言葉は、ドクター・オブ・オステオパシーとして、手の技を通して何万という臨床体験を持つフルフォード氏が得た実感であったのでしょう。その確かな技術をもって晩年まで治療を続けていたということを、ホリスティック医学で有名なアンドリュー・ワイル博士も絶賛しています。

 フルフォード博士は仕事を通じて、身体のはたらきと心の働きが、互いに影響しあっているという信念を得、さらに「人は呼吸した通りの人になる」とまで言い切っています。
 言うまでもなく呼吸は、生きていくために重要な行為です。それだけに、呼吸の仕方によって人が変わっていくことは充分に考えられることです。 浅くせわしない呼吸をしている人は、せわしない人であるでしょうし、弱弱しい呼吸をしている人は、存在感も弱弱しい人になることでしょう。逆に力強くゆったりとした呼吸を常にしている人は、そのような人であるに違いありません。
 身心一如といい、呼吸が人間の本質に反映するという考え方といい、フルフォード博士には禅に近いものを感じます。
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顔面常微笑 胸中常感謝 丹田常充実

 このブログの「養根塾」の題字の下に、「顔面常微笑 胸中常感謝 丹田常充実」という語句を掲げました。養根塾のモットーともいうべき言葉です。
 三つ並べた熟語の基盤になるものは、三番目の「丹田常充実」です。下腹部丹田をしっかりと充実させることで、胸の辺りの力みが消えて温かくなり、感謝が湧いてきます。そして、丹田が充実し胸中に感謝が湧いてくると、顔には微笑が浮かんできます。この三つの条件がそろうと、心が静まり幸福な気持ちにあふれてきます。
 丹田の充実は、樹木で言えば根を養うことです。地中に深く根が張ることで、強風に倒れることなく、養分を十分に吸い上げ、樹木全体を強大にします。
 胸中が感謝で満たされることは、枝がすくすくと伸びることです。枝が伸びることで葉が茂り、光合成が盛んになり、樹木全体が盛大に生育します。
 顔にいつも微笑をたたえることは、花を咲かせることです。花が咲けば蝶や鳥が集まり、種が栄えます。そういえば、咲くという字は〝わらう〟という訓(よ)みあります。微笑みはまさに花が咲くことです。花の咲くところには人もたくさん依ってきます。
 丹田の充実の土台から成る微笑と感謝とは、人生を全肯定することです。人生を全肯定することで、明るく楽しい人生が開けてきます。
 それは、丹田呼吸の実修から始まります。

本当にいい呼吸

 養根塾という名は、多分に坂村真民さん(1909〈明治42〉~2006〈平成18〉)の詩のイメージに依っています。朝1時に起きて、祈りをささげて詩を作るその姿は、まさに土の中からいのちを吸い上げる根っこそのものの感じがします。
 以下は真民さんの詩です。

  ああ本当にいい呼吸が
     できるようになりたい
  わたしが未明こんとんに起きるのも
     このお方の呼びを
  だれよりも早く聞きたいからである
     そのお声を深く吸い込み
  今日の一日をせい一ぱい
     生きたいからである
 (坂村真民詩集『詩国 第一集』より)

 「本当にいい呼吸ができるようになりたい」と真民さんは心から願っていました。それは「このお方の呼びを早く聞きたい」からだと言います。
 このお方とは、神様のことでしょう。神様の呼ぶ声を聞くことは、真民さんにとって息を吸い込むことです。
 そして真民さんが呼く息は、神様の呼びかけに応え、感謝の呼びかけをすることです。
 呼びかけるの「呼」は、呼吸の「呼」です。
 感謝で呼びかける呼気ができたら、神様のお声が深く吸い込まれます。そうしたら、真民さんはまた感謝の呼びかけをします。この感謝のこもった呼気こそ丹田呼吸です。
 ひと息ひと息が丹田呼吸になっていること、それが「今日一日をせい一ぱい生きる」ことになるのです。

直心影流法定と丹田

  『直心影流(じきしんかげりゅう)法定(ほうじょう)目録伝解』という剣術の書物に、丹田について次のような記述があります。

 日常非日常共に、心丹田に有時(あるとき)は万事に怖れ迷う事なく、決断臨機応変の自由をなす者也(なり)。心を丹田に治むるを正直とす。丹田とは心の居処(いどころ)也、即ち田畑より五穀に出る如く、丹田より万事を生じ出す故丹田と云う。(原文の片仮名を平仮名に、送り仮名も一部改めています)   

 法定とは、(鹿島神伝)直心影流剣術に於いて重視された型のことです。
 日常でも特別な時でも、心を丹田に置いておくと、とっさの時に冷静な判断ができ、あらゆる事態において自由に対処できるというのです。
  直心影流法定とは、本来人間が有している〝いのちのはたらき〟を、そのまま発揮するための鍛練法です。日常生活における作為的な行為をすることで狂ってしまった〝いのちのはたらき〟を、本来の姿にもどすための型ということです。

 五穀のいのちが生え出る田畑と、〝いのちのはたらき〟の場である丹田は相似的な関係にあります。自分の身に備わった豊饒(ほうじよう)な田畑である丹田を、丹田呼吸法で練りあげていきましょう。
 

一を貫く道

  俳聖松尾芭蕉は、『笈の小文』で、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」と言っています。
 和歌・連歌・絵画・茶の湯など、分野は違うけれども、その貫く道は一つであるということです。もちろん芭蕉自身も、俳句に於いて同じ一つの道を貫いているという自負があったことでしょう。

 すべてを貫く一つの道とは何でしょうか? 剣術はもとより、絵画、彫金、書など「諸芸諸能の道」に通じていた宮本武蔵にとって、一つの道を貫くものは、剣の理ということになります。武蔵は師につくことなく、自ら究めた剣の理によって、絵を描き、彫刻をし、書を書き、いずれの道でも一流の作を残しました。

 今の時代に、剣の道を究めようというのは万人向きとはいえません。剣よりも、誰もが近づける一を貫く道は、呼吸を調えることです。誰もが日常行っている呼吸を調えて、呼吸を丹田呼吸にまで高めることこそが、「心技体」をバランスよく発達させる最良の方策であると思います。
 この一を貫く道を、「養根の道」として私たちは求め続けているのです。
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プロフィール

鈴木光彌

Author:鈴木光彌
1943年(昭和18)東京都葛飾区水元に生まれる
法政大学法学部卒
在学中は応援団に所属し、副団長を務めていたが、今も、人々に生きる勇気と喜びを鼓吹する応援団を任じている。、
昭和55年、公益社団法人調和道協会に入会し、丹田呼吸法を学ぶ
以来研鑚を重ね、現在養根塾を主宰して活動中
著書:「丹田湧気法入門」柏樹社(共著)、「丹田を創る呼吸法」BABジャパン、「丹田を創って『腹の人』になる」小学館、「藤田霊斎 丹田呼吸法」佼成出版社

【養根塾】
◇会場: 高輪アンナ会館
東京都港区高輪2-1-13
都営浅草線 泉岳寺駅A2口徒歩5分
◇日時:毎週火 1:00~3:00PM
◇会費:1000円/1回
自由ヶ丘教室 第2・4金 10:30AM
若葉教室 毎週金 6:00PMも併設
お問合せ 090-5405-4763 鈴木
Eメール
mitsuya@wf7.so-net.ne.jp

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