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妄想すること莫れ

 いくら休養してもだるくて気力が起こらないのは、たいがい脳が疲れているものです。そんな時はからだを休ませるより、頭を休ませることが先決です。
 頭を疲れさせるのは妄想です。妄想の多くは、過去をクヨクヨと悩んだり、未来をビクビク恐れたりすることです。誰も過ぎてしまった過去、まだ来ない未来に手も足も出せません。そう考えると妄想がいかに馬鹿げた行為であるかがわかります。
 でも、妄想を断ち切ることは難しいですね。無業(むごう)という禅のお坊さんは、何を問われても「莫妄想…妄想するなかれ」で通したということです。それくらい重要で難しいテーマなんですね。
 難しいことですが、少しでも妄想をなくせば、それだけ頭の疲れは少なくなります。この妄想を断ち切るのも、丹田呼吸が大きなはたらきをします。息という字は、「やすむ」という意味があります。そのとおり、呼吸、特に丹田呼吸は頭を休ませるはたらきをもっているのです。
 「あーでもない」「こーでもない」と、とりとめのない妄想にさいなまれたときは、吸う息、吐く息を心を込めて丁寧に行ってみてください。心を込めた呼吸は丹田呼吸となり、肚の力で妄想が断ち切るのです。

 
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明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

 私、今年で七十七歳になります。七が重なることで㐂寿と言われる年齢になりました。「はるばる来ぬる旅をしぞ思う」の感ひとしおというところです。
 負け惜しみではありませんが、年をとるのもなかなかいいものです。旅で例えるならば、車窓からじっくりと景色を味わうことができるようになってきたのは、年の功というものです。今ここを大切に過ごしていきたいと思います。
 浜までは海女も蓑着るしぐれかな
 
 本年も「丹田呼吸」をテーマに、このブログを続けてまいります。
 ご愛読のほどどうぞよろしくお願いいたします。
 

おのれこそおのれの寄る辺

 「法句経(ダンマパダ)」は、お釈迦様の言葉を詩の形で表した経典です。その中で有名なのが次の誦句です(「友松円諦訳)。

おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措(お)きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ獲(え)ん


 人生を正しく歩むためには、何よりも自分を寄る辺としなければなりません。そして、自分を寄る辺とするには、自分をよく調えておくことです。
 よく調えるとは、本当の自分を知ることが第一です。それだから知の巨人ソクラテスが、「汝自身を知れ」という言葉を座右の銘にしたのでしょう。
 自分の真実を知れば、迷いの大半はなくなります。心の葛藤の多くは、真実でない自分をでっちあげ、そのでっち上げの自分を保持するために、いつも心を脅かしているからです。
 でっち上げの自分を見定めて、真実の自分を知ることは勇気がいります。その勇気を奮い起こすのは肚の力です。ここでも丹田呼吸は、大きな力を発揮します。、

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ほほえみの種まき

 お釈迦様を加えて過去七人の仏が、「あらゆる悪いことをしてはいけない。善いことは一所懸命やりなさい。自らその心を浄くする。これが仏の教えである」とい説いたということです。『七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)』と言われます。
 それは「悪いことをするな。善いことを行え」というものです。きわめて当たり前の教えですが、悪いこととは何か? 良いこととは何か? と改めて考え出すと難しい問題になってきます。

 戦後間もないころ、東京浅草の近くで「アリの街」という「バタヤ部落」で救済活動をしていた松居桃樓(とうる)さんは、思い切ってこの言葉を次のようにわかりやすく解釈しました。「悪いことをするな」を「一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は」と、そして「「善いことを行え」を「小さくても大事に育てよう、ほほえみの芽は」。
 ほほえめなくなる種をまくことほど悪いことはない。ほほえみの芽を育てることほど善いことはない。一見とっぴでもないような解釈ですが、じっくり考えてみると、なるほどなーと納得できます。
 ほほえみは、感謝しているとき、相手を好意的に見ているとき、高い視点から自分を洞察しているときなど、肯定的な心境のときに表れる表情です。
 ほほえもうとして顔をゆるめようとすると、かえって表情が硬くなってしまいます。これを、みぞおちあたりをゆるめると、自然に頬やや口元がやわらいできて、自然なほほえみが浮かんできます。
 これも丹田呼吸の偉大なる効用です。
 


 

神仏と一つになる呼吸

 仙人のような生活を送った宮崎童安(明治21〈1888〉~昭和38〈1963〉)は、次のように言っています。

 この息は神仏そのもののいのちである。この息によって身は神仏とひとつに結びついている。
               
 宮崎童安は、野の思想家と言われた詩人であり童話作家でした。クリスチャンである童安が、「神仏」という言葉を使っているところに、一宗一派にとらわれない彼の普遍的な考え方が表れています。

 私たちは誰に習うでもなく息をしています。息ができるおかげでいのちを支えていることができます。息はいのちそのものです。まさに、「息は神仏そのもののいのち」です。そして、吐く息吸う息によって、「神仏とひとつに結びついている」のです。

 神仏の交流であることをしっかりと心にとめて息をすることが、丹田呼吸法であり、マインドフルネス呼吸法なのです。
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プロフィール

鈴木光彌

Author:鈴木光彌
1943年(昭和18)東京都葛飾区水元に生まれる
法政大学法学部卒
在学中は応援団に所属し、副団長を務めていたが、今も、人々に生きる勇気と喜びを鼓吹する応援団を任じている。、
昭和55年、公益社団法人調和道協会に入会し、丹田呼吸法を学ぶ
以来研鑚を重ね、現在養根塾を主宰して活動中
著書:「丹田湧気法入門」柏樹社(共著)、「丹田を創る呼吸法」BABジャパン、「丹田を創って『腹の人』になる」小学館、「藤田霊斎 丹田呼吸法」佼成出版社

【養根塾】
◇会場: 高輪アンナ会館
東京都港区高輪2-1-13
都営浅草線 泉岳寺駅A2口徒歩5分
◇日時:毎週火 1:00~3:00PM
◇会費:1000円/1回
自由ヶ丘教室 第2・4金 10:30AM
若葉教室 毎週金 6:00PMも併設
お問合せ 090-5405-4763 鈴木
Eメール
mitsuya@wf7.so-net.ne.jp

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